「まだ動いているから」「今は他の優先事項がある」——レガシーシステムの刷新を先送りする理由は、どの企業でも似ている。そして、その判断は一見合理的に見える。
しかし、放置の結果もまた、どの企業でも同じだ。競争力は音もなく低下し、気づいたときには取り返しのつかない差がついている。本記事では、なぜ「放置」という選択が必然的に競争力低下を招くのか、その構造を明らかにする。
なぜ「放置」が選ばれるのか——その心理と現実
放置は「決断しない」という決断
レガシーシステムの刷新が進まない最大の理由は、「やらない理由」が常に存在することだ。
JUAS(日本情報システム・ユーザー協会)の調査によれば、レガシーシステム刷新の障壁として最も多く挙げられたのは「システムの複雑さ」(60.7%)、次いで「高いITコスト」(49.5%)だった。これらは確かに無視できない課題である。
しかし、ここに見落とされがちな真実がある。「やらない」という選択もまた、コストを発生させているということだ。
現状維持にはコストがかからないように見える。だが実際には、レガシーシステムの維持管理費は年々増加し、約40%の企業がIT予算の90%以上を既存システムの保守に費やしている。これは「投資」ではなく「延命措置」だ。
「今年は無理」が5年続く構造
多くの経営者は、レガシーシステム刷新の必要性を理解している。問題は、「今年は」という但し書きがつくことだ。
来期の業績目標、進行中のプロジェクト、人員不足——優先すべき課題は常に存在する。そして「今年は無理」が2年、3年と続くうちに、問題はさらに複雑化し、刷新のハードルは高くなる。
この悪循環こそが、レガシー問題の本質だ。先送りすればするほど、解決は困難になる。
意思決定スピード低下の実態——見えない競争力の喪失
データが「使えない」という致命傷
現代のビジネスにおいて、意思決定スピードは競争力の根幹をなす。市場の変化を察知し、迅速に対応できる企業が生き残る。
しかし、レガシーシステムを抱える企業では、この意思決定に必要なデータが「使えない」状態にある。
部門ごとにバラバラに構築されたシステム、統合されていないデータベース、リアルタイムで取得できない情報——経営判断に必要なデータを集めるだけで数日かかる企業は珍しくない。その間に、競合他社は次の一手を打ち終えている。
「調べてから判断する」が遅すぎる時代
かつては「慎重に調べてから判断する」ことが美徳とされた。しかし、市場変化のスピードが加速した現在、「調べている間に機会を逃す」リスクの方が大きくなっている。
たとえば、顧客の購買行動の変化を察知し、即座にマーケティング施策を調整する。在庫状況と需要予測をリアルタイムで照合し、発注量を最適化する。こうした「当たり前」の経営判断が、レガシーシステムに縛られた企業では実行できない。
データドリブンな意思決定ができない企業は、勘と経験に頼るしかない。それは、地図なしで航海するようなものだ。
人材・AI活用への深刻な影響
優秀な人材が「来ない」「辞める」構造
レガシーシステムの問題は、技術だけでなく人材にも波及する。
若手のITエンジニアにとって、20年以上前の技術で構築されたシステムの保守運用は、キャリアにとってプラスにならない。最新技術を学び、成長できる環境を求めて転職するのは自然な流れだ。
結果として、レガシーシステムを抱える企業では、システムを理解できる人材が高齢化し、若手の採用・定着が困難になる。経産省のDXレポートでも、IT人材不足が2025年には約43万人に達すると警告されていたが、この傾向は2026年の今も続いている。
AI活用の「入口」に立てない
生成AIをはじめとするAI技術の進化は、ビジネスのあり方を根本から変えつつある。しかし、AIを活用するためには、学習に使えるデータが必要だ。
レガシーシステムに閉じ込められたデータは、AIに食わせることができない。データ形式が古い、API連携ができない、そもそもデータが整理されていない——AI活用の「入口」にすら立てない企業が少なくない。
競合他社がAIで業務効率を30%向上させ、顧客体験をパーソナライズしている間、自社は「まずデータを整理するところから」というスタートラインにも立てない。この差は、時間が経つほど広がる一方だ。
DX人材が「活躍できない」環境
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仮にDX推進のために優秀な人材を採用できたとしても、レガシーシステムが足枷になる。
新しいアイデアを実装しようとしても、既存システムとの連携がボトルネックになる。クラウドネイティブなアーキテクチャを提案しても、「今のシステムとどう繋げるか」という議論に時間を取られる。
結果として、DX人材は本来の力を発揮できず、フラストレーションを抱えて退職していく。これは、採用コストと機会損失の二重の損害だ。
競合との差が開く構造——静かに進行する敗北
「差」は徐々に、しかし確実に開く
レガシーシステムによる競争力低下は、ある日突然起こるわけではない。静かに、しかし確実に進行する。
最初は「うちは少し遅れているかもしれない」程度の認識だ。しかし、競合他社がデジタル技術で顧客体験を革新し、業務効率を向上させている間、その差は着実に広がっていく。
そして気づいたときには、同じ土俵で戦えないほどの差がついている。これが、レガシー放置の本当の恐ろしさだ。
サプライチェーンからの「脱落」リスク
競争力低下は、自社の業績悪化だけでは終わらない。
取引先企業がDXを推進し、データ連携を前提としたサプライチェーンを構築し始めると、レガシーシステムのままでは対応できなくなる。「御社のシステムでは連携できない」という理由で、長年の取引先から切られるリスクが現実のものとなる。
経産省の2025年5月のレポートでも、このサプライチェーンリスクについて言及されている。大手企業のDX推進が加速する中、対応できない企業は取引関係から外されていく。
「デジタル・ディスラプション」の現実
業界によっては、すでに「デジタル・ディスラプション」——デジタル企業による市場の破壊的変革——が起きている。
既存企業がレガシーシステムと格闘している間に、デジタルネイティブな新興企業が顧客を奪っていく。彼らには「過去の資産」という足枷がない。ゼロからデジタルを前提に設計されたビジネスモデルで、圧倒的なスピードとコスト効率で市場を席巻する。
「うちの業界は大丈夫」という油断は、最も危険な思考だ。
「守り」ではなく「攻め」の刷新という視点
刷新は「コスト」ではなく「投資」
ここまで読んで、レガシーシステム刷新の必要性は理解できたとしても、「結局、莫大なコストがかかる」という懸念が残るかもしれない。
しかし、視点を変える必要がある。刷新は「コスト」ではなく「投資」だ。
現状維持のために毎年消えていく保守費用は、何も生まない「コスト」である。一方、刷新への投資は、意思決定スピードの向上、人材の確保・定着、AI活用による生産性向上——将来のリターンを生む「投資」となる。
全面刷新だけが選択肢ではない
「刷新」というと、すべてを一度に入れ替える大規模プロジェクトを想像しがちだ。しかし、それだけが選択肢ではない。
段階的なアプローチ——まず最もクリティカルな部分から着手し、徐々に近代化を進める方法もある。不要なシステムを廃棄して軽量化する、マイクロサービスアーキテクチャで既存システムと新システムを連携させる、といった手法も有効だ。
重要なのは、「完璧な計画ができるまで動かない」ではなく、「まず現状を正確に把握し、できることから始める」という姿勢だ。
まず「現状の可視化」から始める
刷新への第一歩は、自社のIT資産の現状を正確に把握することだ。
どのシステムがどの業務を支えているのか。保守・運用コストはいくらか。担当者は誰で、ドキュメントは整備されているか。刷新の優先度はどうか。
こうした「棚卸し」を行うことで、隠れていたリスクが明らかになり、対策の優先順位が見えてくる。自社だけで客観的な評価が難しい場合は、第三者の視点を入れることも有効だ。
まとめ:放置の結果は「静かな敗北」
レガシーシステムの放置は、「現状維持」という名の緩やかな衰退だ。
意思決定スピードは低下し、優秀な人材は離れ、AI活用の機会は失われる。競合との差は静かに、しかし確実に開いていく。そして気づいたときには、取り返しのつかない差がついている。
2026年を迎えた今、「2025年の崖」は過去形ではない。経産省が警告した年間最大12兆円の経済損失は、対応を先送りした企業に現実として降りかかっている。
大規模な刷新プロジェクトを立ち上げる前に、まずは自社の現状を正確に把握することから始めてほしい。問題の全体像が見えれば、解決への道筋も見えてくる。「放置」という選択を続けるか、「攻めの刷新」に舵を切るか——その判断が、5年後の企業の姿を決める。
参考資料
経済産業省「DXレポート ~ITシステム『2025年の崖』の克服とDXの本格的な展開~」(2018年9月)
経済産業省「レガシーシステムモダン化委員会総括レポート」(2025年5月)
JUAS「企業IT動向調査報告書」(2022年)
VTI「What Is The 2025 Cliff? Why Japanese Business Owners Can't Ignore The 2025 Cliff Anymore」 https://vti.com.vn/what-is-the-2025-cliff
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