「レガシーシステムの刷新に数億円かかると言われた。ROIが見えないから判断できない」
こうした声を、多くの経営者から聞きます。しかし、この問いの立て方自体が、判断を誤らせる原因かもしれません。
レガシー刷新のROIは、「投資して得られるリターン」ではなく、**「投資しなかった場合に失われるもの」**で測るべきです。経済産業省が「2025年の崖」として警鐘を鳴らしたのは、まさにこの「放置コスト」の巨大さでした。
本記事では、IT投資判断の視点を「やらないコスト」に転換する考え方と、5年後の経営影響を論理的に説明します。
1. なぜ「投資額」でROIを測ると判断を誤るのか
従来のROI計算の限界
IT投資のROIは、一般的に以下の式で計算されます。
ROI = (得られた利益 − 投資額) ÷ 投資額 × 100しかし、レガシーシステム刷新の場合、この計算式には致命的な欠陥があります。
「得られた利益」が見えにくいからです。
新規事業のためのシステム投資なら、売上増という形でリターンが見えます。しかし、既存システムの刷新は「今と同じことができる」だけに見えてしまう。だから「投資する意味がわからない」となるのです。
「現状維持」はコストゼロではない
ここに大きな認知バイアスがあります。
「今のシステムを使い続ける」選択肢は、コストゼロに見えます。しかし実際には、以下のコストが毎年積み上がっています。
放置コストの種類 | 内容 |
|---|---|
保守運用コストの増大 | 老朽化に伴う障害対応、ベンダーサポート終了後の対応 |
人材コストの増大 | レガシー技術を扱える人材の希少化・高単価化 |
機会損失 | 新技術(AI・クラウド等)との連携不可による競争力低下 |
セキュリティリスク | サポート終了製品の脆弱性対応コスト |
章末サマリー: 従来のROI計算では「得られた利益」が見えにくく、判断を誤りやすい。「現状維持=コストゼロ」という認知バイアスを疑うことが第一歩。
2. 「やらないコスト」とは何か
経産省が試算した「年間12兆円」の意味
経済産業省が2018年に発表した「DXレポート」では、レガシーシステムの問題を放置した場合、2025年以降、年間最大12兆円の経済損失が発生する可能性があると試算されました。
※この「最大12兆円/年」は、DXレポートが公開情報等を基に「レガシー起因のトラブルリスクが増大した場合」の最大推定として提示した数値です(DXレポート本文では「現在の約3倍」として最大約12兆円/年と推定)。同レポートでは、IT関連費用の約80%が現行ビジネスの維持・運営(ラン・ザ・ビジネス)に割り当てられている実態も指摘されています。
さらに2025年5月に公開された「レガシーシステムモダン化委員会総括レポート」では、レガシー脱却の進捗が依然としてスピード感に欠ける現状を踏まえ、以下の4点がモダン化に有効であると提言されています。
経営層の意識変革とITガバナンスの強化
情報システム部門の自律性
事業部門との連携
ベンダー企業の変革と協力関係
特に、経営層・情シス・業務部門が定期的に情報共有している企業では、仕様の可視化と内製化が進み、モダン化が順調に推進されているとのデータも示されています。
「やらないコスト」の3つの構成要素
「やらないコスト」は、以下の3つで構成されます。
① 直接コストの増大
レガシーシステムの保守・運用コストは年々増加します。経済産業省「DXレポート」(2018年)では、JUAS「企業IT動向調査報告書2017」を引用し、IT関連費用の約80%が既存システムの維持・運営に費やされていると指摘されています。
② 機会損失
生成AIやクラウドネイティブな技術を活用した競合他社との差が開いていきます。「今は大丈夫」でも、5年後には取り返しのつかない差になる可能性があります。
③ リスクコスト
システム障害による業務停止、データ消失、セキュリティインシデントなど、発生確率は低くても発生時の損害が甚大なリスクです。IPAの公開資料では、民間調査結果の引用として「システム障害による経済的損失は国内企業1社あたり約2億1,900万円、国内全体では約4兆9,600億円」という数値が紹介されています(※出典の詳細は資料脚注参照)。
章末サマリー: 「やらないコスト」は直接コスト増・機会損失・リスクコストの3要素で構成される。経産省DXレポートでは、放置した場合の経済損失を年間最大12兆円(最大推定)と試算している。
3. 5年後の経営影響を可視化する
Before/After:5年間の累積コスト比較
以下は、年商50億円規模の製造業を想定した試算例です。
※あくまで例示です。実際のコストは業種・システム規模・人員体制・障害頻度等により大きく変動します。
項目 | 現状維持(5年累計) | 刷新実施(5年累計) |
|---|---|---|
保守運用費 | 2.5億円(年5,000万×5年) | 1.5億円(年3,000万×5年) |
障害対応費 | 5,000万円(突発的対応) | 1,000万円 |
人材コスト | 3,000万円(高単価人材) | 2,000万円 |
刷新投資 | 0円 | 8,000万円(初年度) |
新技術活用による効率化 | 0円 | ▲5,000万円(削減効果) |
累計 | 3.3億円 | 2.4億円 |
「刷新しない」選択は、5年間で約9,000万円多くコストがかかる計算になります。
IT予算の「攻め」と「守り」の比率
多くの日本企業では、IT関連費用の約8割が「守り」(既存システムの維持・運営=ラン)に割り当てられていると指摘されています。この比率を6:4、さらには5:5に改善できれば、新規投資に回せる資金が大幅に増えます。
レガシーシステムを刷新することで、この「攻め」の比率を高められるのです。
章末サマリー: 5年間の累積コストで比較すると、「刷新しない」選択のほうがトータルコストは高くなる。IT予算の「攻め」比率を高めることがDX推進の前提条件。
4. IT予算削減下でも刷新を成功させた事例
IT予算削減下でもモダナイゼーションを実現したIBMの事例
ビジネス+IT(日本IBM提供コンテンツ)では、IBMの自社事例として、IT予算が毎年10%ずつ削減される厳しい制約の中でモダナイゼーションに取り組んだ内容が紹介されています。
IBMでは、以下の課題を抱えていました。
ワークロード(処理量)は年々増加
開発・運用で使用されるツールや手法がチームごとに異なる
各システムのアーキテクチャに共通性がない
このような状況下でも、運用の標準化と段階的な刷新アプローチにより、制約条件を乗り越えて運用の高度化を実現したとされています。
※本事例はIBM提供のスポンサードコンテンツとして公開されたものであり、第三者による検証事例ではない点にご留意ください(会員限定部分を含む提供コンテンツです)。
成功のポイント
全体最適の視点:個別システムではなく、運用全体の効率化を目指す
標準化の徹底:ツールや手法を統一し、属人化を解消
段階的アプローチ:一括刷新ではなく、優先度の高い領域から順次対応
章末サマリー: IT予算削減下でも、運用の標準化と段階的アプローチにより刷新は実現可能。重要なのは個別最適ではなく全体最適の視点。
5. レガシー刷新ROIの新しい計算式
「放置コスト」を起点にした計算式
従来のROI計算式を、以下のように再定義します。
レガシー刷新ROI = (放置コスト − 刷新コスト) ÷ 刷新コスト × 100ここで「放置コスト」は、以下の合計です。
放置コスト = 保守運用コスト増分 + 機会損失 + リスクコスト期待値計算例
先ほどの試算例で計算すると:
放置コスト(5年):3.3億円
刷新コスト(5年):2.4億円
ROI = (3.3億 − 2.4億) ÷ 2.4億 × 100 = 37.5%「投資して得られるリターン」ではなく、「投資しないことで失われるもの」を回避するリターンとして、37.5%のROIが算出されます。
TCO(総保有コスト)の視点
IT投資判断では、初期費用だけでなく、運用・保守・教育・更新などの継続的なコストを含めた**TCO(Total Cost of Ownership)**で評価することが重要です。
3〜5年の長期視点でTCOを算出し、レガシーシステムの維持費用と刷新後のTCOを比較することで、投資の妥当性を客観的に判断できます。
章末サマリー: レガシー刷新のROIは「放置コスト − 刷新コスト」で計算する。TCOの視点で3〜5年の長期評価を行うことが重要。
6. まとめ:経営判断としてのレガシー刷新
3つのポイント
ROIの測り方を変える:「投資額」ではなく「放置コスト」で判断する
5年後を見据える:短期的なコストではなく、中長期の累積コストで比較する
段階的に着手する:一括刷新ではなく、優先度の高い領域から順次対応する
DXのROIは「放置コスト」で測る
「DXのROIは"投資額"ではなく"放置コスト"で測るべきだ。」
この視点の転換が、レガシー刷新の意思決定を前に進める鍵となります。
「今のシステムで動いているから」という理由で先送りを続けると、5年後には取り返しのつかない差が開いている可能性があります。経産省の「レガシーシステムモダン化委員会総括レポート」でも、経営層の意識変革とITガバナンスの強化がレガシー脱却に有効であると提言されています。
次のステップ
レガシーシステムの刷新は、技術的な課題であると同時に経営判断です。
まずは自社のレガシーシステムが抱える「放置コスト」を可視化することから始めてみてはいかがでしょうか。
レガシーシステムの現状診断・刷新計画の策定について、お気軽にご相談ください。
FAQ
Q1. レガシーシステムの刷新にはどのくらいの期間がかかりますか?
A. 規模や複雑さによりますが、一般的には1〜3年程度です。段階的なアプローチを取ることで、リスクを分散しながら進めることができます。重要なのは、最初から完璧を目指すのではなく、優先度の高い領域から順次着手することです。
Q2. 中小企業でもレガシー刷新は必要ですか?
A. 企業規模に関わらず、レガシーシステムの課題は存在します。むしろ中小企業のほうが、人材不足の影響を受けやすく、放置した場合のリスクが高くなる傾向があります。クラウドサービスやSaaSの活用により、大規模な投資をせずに刷新を進める方法もあります。
Q3. 「やらないコスト」はどうやって算出すればよいですか?
A. まずは現在の保守運用コストの推移を把握し、今後の増加率を予測します。次に、システム障害や人材離脱などのリスクイベントの発生確率と影響度を見積もります。これらを5年間で累計し、刷新コストと比較することで、定量的な判断材料が得られます。
Q4. 経営層にどう説明すれば承認を得られますか?
A. 「投資のリターン」ではなく「投資しないリスク」を中心に説明することが効果的です。具体的には、5年後の累積コスト比較、競合他社との技術差、セキュリティリスクなどを可視化して提示します。経産省のDXレポートや業界の事例を引用することも説得力を高めます。
Q5. 刷新中に業務が止まるリスクはありませんか?
A. 段階的な移行アプローチを取ることで、業務への影響を最小化できます。並行稼働期間を設けて新旧システムを同時に動かしながら移行する方法や、マイクロサービス化により部分的に刷新を進める方法などがあります。計画段階でリスク低減策を十分に検討することが重要です。
参考資料
経済産業省「DXレポート~ITシステム『2025年の崖』の克服とDXの本格的な展開~」(2018年9月7日)
https://www.meti.go.jp/policy/it_policy/dx/20180907_02.pdf経済産業省「レガシーシステムモダン化委員会総括レポート」(2025年5月28日)
https://www.meti.go.jp/press/2025/05/20250528003/20250528003.html経済産業省「産業界のデジタルトランスフォーメーション(DX)」
https://www.meti.go.jp/policy/it_policy/dx/dx.htmlビジネス+IT「IT予算『年10%削減』の悲劇…それでも『運用高度化』実現は問題ナシと言えるワケ」(日本IBM提供コンテンツ)
https://www.sbbit.jp/article/sp/177544@IT「モダナイゼーション事例に学ぶ『運用高度化と開発の変革』」(2025年7月9日)
https://atmarkit.itmedia.co.jp/ait/articles/2507/09/news003.htmlIPA(独立行政法人情報処理推進機構)「DX動向2024」(2024年6月27日)
https://www.ipa.go.jp/digital/chousa/dx-trend/dx-trend-2024.htmlIPA「システム障害を未然に防止するためのガイドブック」(2016年2月)
※システム障害による経済的損失に関するデータの出典元
https://www.ipa.go.jp/archive/digital/iot-en-ci/system/system_fault.html
※本記事は、公開情報をもとにレガシーシステム刷新のROI評価方法を解説したものです。具体的な投資判断にあたっては、自社の状況に合わせた詳細な分析を推奨します。
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